SMというのは、毎日が学びだ。
今日、乱入に行ってきた。
そして、なぎささんとも少しの時間だったけれど、お話をすることができた。
なんて恵まれた日なんだろう。
そんなことを思いながら過ごした今日、私はひとつ気付かされたことがある。
私は、物事の楽しみ方を知らなさすぎる。
正確に言えば、
自分が「楽しい」と感じていることを、どちらかというと【悪いこと】に近いものとして認識してしまう節がある。
楽しんでいいのかな。
こんなに楽しんでいていいのかな。
もっと何かしなきゃいけないんじゃないか。
そんなふうに、楽しいという感情にすら少しだけブレーキをかけている自分がいる。
昔、一緒に遊んだ友人に言われたことがある。
「大丈夫?ちゃんと楽しかった?」
「楽しんでもらえたか不安」
私は、その時心の底から楽しんでいた。
本当に楽しかった。
それなのに、それが相手に伝わっていなかった。
それが、なんだか悲しかった。
私が楽しいと思っていることは、ちゃんと相手に伝わっているのだろうか。
それ以来、そんなことが妙に気になるようになった。
楽しいって、どうやって態度で示せばいいんだろう。
笑えばいい?
たくさん喋ればいい?
「楽しい」と言葉にすればいい?
でも、言葉にしすぎると、なんだかわざとらしく感じてしまう。
本当は楽しいのに、
「楽しんでいるように見せなきゃ」
と考え始めた瞬間、今度は自分を演技させているような気がしてくる。
それが嫌だった。
だから私は、自分の「楽しい」を上手く外に出せないことがあった。
今日、少しだけ考え方が変わった。
表情にすること。
言葉にすること。
態度にすること。
それは、私が自分を偽って演技することではない。
【楽しいという感情を、相手に伝えるための手段】なのだ。
そう考えてみたら、少しだけ楽になった。
笑ったからといって、嘘をついているわけじゃない。
「楽しい」と言葉にしたからといって、わざとらしいわけじゃない。
自分の中にちゃんと「楽しい」がある。
その事実を、相手にも分かる形にして渡しているだけなのだ。
そう思えた。
私は、自分の感情をそのまま相手に伝えることが、少し苦手なのかもしれない。
でも、だからといって、伝え方を覚えることが「偽物の自分になる」ということではない。
むしろ、自分の中にあるものをちゃんと相手に届けるための努力なのだ。
SMも、きっと同じなのだと思う。
私はマゾとの間に、心と心で繋がる関係を作りたい。
だったら、私が何を感じているのかも、ちゃんと伝えなければならない。
嬉しいなら嬉しい。
楽しいなら楽しい。
お前のことをもっと知りたいなら、そう伝える。
そういう小さな積み重ねが、二人の間にあるものを少しずつ形にしていくのだろう。
今日、私はそれを学んだ。
大きな答えではない。
人生がひっくり返るような気付きでもない。
ただ、
【少しだけ】
自分を許せるようになった。
楽しんでいる自分を、悪いものだと思わなくていい。
楽しさを伝えようとする自分を、演技しているのだと責めなくていい。
私の中にある「楽しい」は、ちゃんと本物なのだから。
それを誰かに伝えたいと思うことも、きっと本物なのだ。
今日は、そんなことを教えてもらった。
SMというのは、毎日が学びだ。
そして今日もまた、私は少しだけ前に進んだ。
ほんの少しだけ。
でも、それでいいのだと思う。
